2020年02月14日

東海道線熱田駅2

 おはようございます、なんかいろいろ情勢が変化している奥野君です(謎)。今日の目標は『眼医者さん』~~(殴)。新マニュアルを頂いたもので、明日の有田川に向けての準備もしなくちゃ。

 ということで、東海道線熱田駅2 N車輌1.2km、N輸送0.2km

●撮影日 2019年10月15日

『懐かしい駅の風景~線路配線図とともに』様(http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-7eb9.html))の配線図(1969年版)によると、この二線は名鉄神宮前側の常滑線が交差した向こうに記載が。航空写真によると、車窓から見えた妖しい建物側に小さな橋。
橋台だけは残っていましたが、
反対側は別会社に。地図記載では、ここにN車輛線と財務局線があるのですが。

 で、N輸送線は、N車輛線と東海道線を挟んだ南側に伸びています。
ちょっと駐車場にお邪魔すると、線路跡が・・ 0.2kmなのでこの駐車場がそうだったのかな?

●N氏コメント
奥野さん、またまたこんばんは~。
どうしても近所ネタなので出てきちゃいます(爆)

1,2枚目画像の新堀川に橋台が残る専用線は廃止はかなり早かったようで橋が架かっている写真は昭和30年代前半までさかのぼらないと出てきませんね。
この場所には明治時代に名古屋セメント(→豊国セメント)の工場が置かれ新堀川の艀と専用線で原石、セメント輸送を行っていたそうです。ややこしいことに工場裏手の名鉄名古屋本線堀田駅側にも別に専用線を持っていました。セメント工場は戦時中に閉鎖されています。敷地の3方向を線路と運河に囲まれ手狭だったんでしょうね。
N車輌の1.2kmは工場構内に複雑に張り巡らされた側線網のためと思われます。
スイッチャーもお客から下取りしたものや試作機まで多種多様な蒸機、DLのがいました。
極めつけは本社工場と鳴海工場間の資材受け渡しのため夜な夜な終電後の名鉄名古屋本線をスイッチャー蒸機が貨物を牽いて走っていたそうです。

橋桁は1959(昭和34)~1963(昭和38)年頃撤去、橋台橋脚が残されてますね。3枚目写真に写ってるN林業(1948(昭和23)年名古屋進出)が側線で木材搬入・出荷していたかは不明~。
N車輌線、財務局線は旧セメント線につながっていた線で神宮前名物だった手動踏切が近年撤去されるまで踏切部分のレールが残っていました。
実質上名鉄線から分かれる専用線のための授受線と思われます。財務局線となってるのはT倉庫が元造兵廠だったためでしょうか。
それにしても神宮前駅構内で行ったり来たりしなくてはならず引っ切り無しに来る名鉄電車をやり過ごしながら入換するのは大変そうですね(^ ^;)

 なんと配線図をよく見ると、橋の部分で途切れていますね。

 ではでは、なんと有田でコロナちゃん発生・・ まあ奥野君はインフルもかかった記憶がない人なので大丈夫ですが、スタッフなので万が一人に移ったら大変・・(文章が矛盾していますね(笑))。ちなみに今日のカニさんは3位と8位(微妙)。  


Posted by 奥野君 at 08:02Comments(4)名鉄局貨物取扱駅