2014年12月29日

山陽線鷹取駅

 こんばんは、やっと1モジュールのサイコロストラクチャーを退治し2モジュール目に取り掛かった奥野君です。でもこれが一番難物なんだな。今日はマンションを10時間作っていましたが、まだ終わらない・・
 
 ということで、山陽線鷹取駅 S石油1.1km M石油1km 米軍0.4km

●撮影日 2013年12月2日

 とうとうアップは神戸市内。神戸港駅以外早くに廃止されてしまいましたが、宜なるかな。なにしろ南北に狭い神戸市なのに、やたら貨物線が走り回っていたもので。
もちろん鷹取駅もその例に漏れません。
駅の西側には怪しい分岐線路路盤が。
その先は駐輪場でしたが、
所々残る空き地。
交通量の多い道路を渡ると、いかにもという(?)分岐部。実は奥野君はこの辺は昭和45年の国土地理院の地図を持っていまして、その地図によれば、その辺から右に線路がそれてゆく〜〜 建物の右側がS石油のヤードだったのでしょうね。
その内の一本は海岸道路を超えて
吸い込まれていたようです。
 で、M石油は?? 二枚目の道路が怪しいと辿ると、
これも海岸道路を超えて海沿いの怪しげな雰囲気。
たぶんここがM石油跡地?? まあ看板はK石油でしたが。でもこんな風に輸送基地である海に出るまでに主要道路を超えていかなくてはならない地形なので、高架線だった神戸港線以外の存続は難しかったようです・・

 ではでは。


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この記事へのコメント
あけましておめでとうございます。

ここの石油専用鉄道は19世紀末開業当初はR石油で戦中に敵国資産として没収、戦後返還されてS石油に社名変更と長い歴史があるようで。
妹尾河童氏の小説「少年H」にはこの専用鉄道が何度も出てきて「貨車が出入りするのは朝と昼の二回」とか日中戦争が激化すると運転本数が減って子供たちの格好の遊び場に・・・などとある他、専用鉄道が描かれた鷹取駅周辺の地図も載って怪しげ情報満載でした。何てマニアックな(^ ^;)

なおS石油線から分岐していたM石油線のニチユ君は廃止後敦賀に移っており、2009年10月13日敦賀繊維の記事で撮影されてますね。

では今年もよろしくです♪
Posted by 西宮後 at 2015年01月01日 12:23
 西宮後さん、おめでとうございます~~

 あらら、小説なのに地図まで?? なんとここのが敦賀繊維のやつだったとは・・(早くリストを見ろよな(殴))。ここにいた頃は最新鋭機だったのでしょうけれど、奥野君が見た時はもう時代ものでしたです。

 ではでは、今年もよろしくです~~
Posted by 奥野君 at 2015年01月02日 22:59
 奥野さん、日々のご勤務、お疲れ様です。当方も、9勤の連続ですので、お互いに、身体を壊さない様に頑張りませう。
 さてさて…、今回も長くなります。いや~、すみません。しかも鷹取は、最近編・過去編の2部構成です。
 それでは、最近編です…。先日、この付近に用事がありましたので、当専用線跡を、簡単ではありますが、28年ぶり位に見て参りました。
 ①写真5枚目~デイリーヤマザキ部分のS石油とM石油との分岐点:
 右方向(西側)に分岐していたのが、M石油線でした。
 S石油線は、左方向に分岐し、左手の道路に沿って敷かれていたと思います。
 ②写真6枚目のS石油神戸事業所「正門」とその南側の写真7枚目:
 ここは残念ながら、専用線跡ではありませんでした。(この北東方向にS石油線がありました。)
 ③写真8枚目の交差点:
 左手方向に緩くカーブして行く線形は、長田港方面へと向かう路線跡で、残念ながら、M石油線跡ではありませんでした。(長田港方面へと向かう路線に関しましては、手持ちの資料がありませんので、残念ながら、詳しいことは分かりません。)
 M石油は、この交差点からさらに右手、S石油を越えました西側にあり、現在は「JX日鉱日石エネルギー神戸油槽所」として営業中でした。かつての専用線出入口跡は、現在、東西2つある出入口の内、東側の「車両入口」がそうだと思われ、その中の空間がヤード跡だったと思われます。
 ④写真9枚目のK石油:
 上記の通り、残念ながら、ここはM石油ではなく、長田港方面へと続く路線跡の途中にありました。
 写真の橋の向きは、路線跡と交差している方向となります。
 現在、このK石油から東側の兼松油槽・寺下石油にかけましての元油槽所一帯は、広い更地と化してしまっております。
 ここからさらに東側へと行きますと、日通の少し古めの倉庫がありました。一部曲線に沿った様な建て方をしておりましたが、鉄道に関係していたかどうかについては、分かりません。
 ⑤「鉄道番外録7」にて、当専用線が紹介されております。
 動車のボンネットは、両線とも、駅の方を向いておりますので、その方角が分かります。
 …と以上です。
 かつて、昭和61年7月の若かりし頃、自転車で鷹取から摩耶埠頭まで探訪しましたが、今ではもう無理です。奥野さんも確か自転車探訪だったと思いますが、かなりタフですねえ~~。
Posted by 頑張れ奥野君 at 2015年02月09日 22:48
 鷹取コメントの過去編です…。
 ①当廃線跡は、先述の通り、昭和61年7月に探訪したことがあります。
 当時でも既に、駅から油槽所までの区間の、大きな痕跡はあまり見当たらず、駅から分岐してすぐのカーブ部分や、駅構内の側線スペースが、一番ハッキリしていて、良く分かる位でした。
 これとは対照的に、油槽所側では、M石油構内の線路がヤード状のまま残っており、S石油構内も線路は撤去されておりましたものの、路盤が残っており、当時の風景を垣間見ることが出来ました。
 なお当線は、ご存じの通り、国道2号線にて、神戸市電と平面交差しておりましたので、神戸市電関連の書籍を見ておりますと、当時の風景が出てくることがあります。
 それによりますと、この区間では、国鉄8620→後DD13が使用されていたようですので、当専用線の動車達は油槽所側での使用のみで、駅へは出なかったのだろうと思われます。
 国鉄機によります入換列車は、鷹取駅側では、上下緩行線および下り列車線を渡って駅構内の操車場(現在の神戸貨物ターミナルの場所)に出入りしなければならなかった模様です。
 この様な事情や、国道2号線横断、貨物取扱量も想像してみますと、59-2を待たずして、早期に廃止されましたのも、分かる様な気がします。
 しかし、鷹取駅前に専用線の踏切があって、タンク車が走っていたとは、今では想像も出来ませんね。
 西宮後さん仰る通りの少年H時代には、どの様な風景が広がっていたことでしょう。
 ②鷹取駅西側(妙法寺川の東側)のJR線をアンダーパスする道路を北側に上がった所すぐに、かつて、鷹取工場引き込み線の踏切があり、妙法寺川には小さな橋梁が掛かっておりました。工場の協三20t動車+控車が入換で出てくることもありました。
 その横の本線の上り列車線を、南側に渡った所に機関庫があり、姫路機関区DD13→のち同区DE10が何両か常駐しておりました。その後、JR貨物岡山機関区のDE10となり、最後は同社吹田機関区のDE10となりました。
 ③それらの西側、現在の須磨海浜公園駅北側のマックスバリュー周辺は、かつての保線基地跡で、更に昔は、国鉄貨物の荷役場所だったようです。
 保線基地の管轄は神戸保線区で、震災時は、西の復旧拠点として大活躍をしました。新駅開設の為とは言え、無くなってしまったのは、残念でした。
 …以上、長くなりまして、すみませんでした。でわでわ。
Posted by 頑張れ奥野君 at 2015年02月09日 22:50
 頑張れ奥野君さん、遅くなりまして~~
 なんと、長文の訂正カキコ、ありがとうございます~~
 そうなんだ、右に分かれてゆくのがM石油だったのですね。S石油線もそうですが、長田港引込線? 初めて聞きましたが、これはまた行かなくちゃです~~ 日通の建物も怪しいし(笑)。
 昔話編も興味深いですね。鷹取工場の存在はすっかり忘れていました~~(殴)。奥野君が中学生の時は、EF58の引く客車列車で快速線はよく通りましたが、鈍行線は通った記憶が・・ 播但線のSL目的だったもので。いつも一番後ろの解放連結部から(鎖一本)ジェットコースターのような線路を眺めておりました~~(おじん)。
 体力~~ 実は鷹取と兵庫港は一度行ったのに誤ってデジカメの画像を消してしまい、再訪問する羽目に。さすがに神戸駅からの自転車はきつかったです~~ 同じく摩耶埠頭までも同じ日でしたです。
 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2015年02月11日 07:48
 
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