2019年12月12日

塩浜石油情報

 こんにちは、今日は朝からちょろちょろしていた奥野君です。眼医者さんに行って、銀行に行って、腕時計を買って~~ 帰ってきたらまたポストに行く用事が出来ちゃった・・ もうごちゃごちゃ~~(笑)。だって帰る途中にホカ弁屋さんに寄って昼ごはんと夜ご飯を買ったら・・今日は飲み会だった(爆)。

 ということで、塩浜石油情報

●撮影日 2019年12月10日

 ここは慌てました。塩浜石油情報
だって11時過ぎに覗くと・・でも四日市港を撮ってから行くと~~ 『14時の便? あるよ~~』。塩浜石油情報
いつも通り14時少し前に現れたSW。塩浜石油情報
この日は帰りも塩浜石油情報
4両繋いでいました。さすが冬ですね。まあ前は15時半(16時?)の便もあったのですが・・
塩浜石油情報
 で、この日の奥野君の目的はSWよりもこっち(笑)。塩浜石油情報
有田川にも導入したいですが、塩浜石油情報
ワイヤーを線路の下に通さなければならないので難しいですね。塩浜石油情報
ちなみに謎の(陸軍?)踏切はこれです~~

 ではでは、これから20の用事を少しでも減らそう~~(現在15かな?)。


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この記事へのコメント
こちらでの書き込みはおそらく初めてかと。
こんな踏切が今も現役で使われているとは・・・少しびっくりしました。

四日市駅前の商店街入口もいよいよなのですね。四日市界隈もしばらく行っていないですが、また見に行きたいなあと思いました。
Posted by きみ at 2019年12月13日 05:12
奥野さん、こんばんは~。
塩浜コンビナートは元は陸軍ではなく海軍の燃料廠ですよ~。
かつては海軍の錨のマークが入ったタンク車が出入りしてしていたものと思われますがやはり軍事機密のためか戦後焼跡になった写真しか出てきません(- -)

例のブツですが形状からすると恐らく踏切のワイヤーを操作するハンドルとプーリーの台座ではないでしょうか。
石油ターミナル前の踏切は今でこそ直接遮断機を持って上げ下ろしされていますがかつてはここのハンドルを回して操作していたのではないでしょうか?
ハンドルの具合が悪くなったときに「直接上げ下げできるし治さなくてもこのままでいいんじゃない?」となったのでは・・・。
Posted by 西宮後 at 2019年12月13日 21:28
 きみさん、こんばんは~~
 そうなんです。四日市も寂しくなりましたが、まだまだ怪しい世界なんですね。三岐貨物も楽しいですがそれは行かれてますね~~(笑)。

 西宮後さん、こんばんは~~&すみません~~
 たしかに海軍ですね。記憶だけで書いちゃう人なもので(殴)。
 踏切はハンドルとプーリー式の残骸ですが、それにしても場所が後ろ過ぎで、詰所がないと仮定すれば線路を伸ばせちゃう~~(笑)。こちら側に側線は伸びていなかったのかな?

 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2019年12月13日 23:14
奥野さん、こんばんは~。
海軍時代はI産業専用鉄道とかなり長く並走してから燃料廠内に入っておりこの踏切の場所は1952(昭和27)年時点(工廠跡はまだ焼け跡放置の時代~)では宅地だったようです。
また過去、現在の航空写真で確認してもそっちに延びると昔からある運河に落ちちゃう上に延長線上に橋の形跡も見られないことから線路があった可能性は薄いように思います。
Posted by 西宮後 at 2019年12月14日 23:43
 西宮後さん、こんばんは~~

 そうなんだ・・塩浜の係員さんに嘘言っちゃったかな(殴)。係員さん、このアバウトブログを見ていたら、『ごめんなさい』(ペコリ)。やはり踏切の幅が昔は広かったのでしょうね。お手数をおかけしましたです。

 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2019年12月15日 21:42
 
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