2010年02月23日

神奈川臨海国際埠頭報告

おはようございます、爆睡した奥野君です。今週は水曜日が当直でその明けで金沢に行きますです。でも鉄はありません(クスン)。

 ということで、神奈川臨海国際埠頭(?)報告。

 ●撮影日 1995年9月15日

 
神奈川臨海国際埠頭報告
今だから分かる所ですが,
神奈川臨海国際埠頭報告
この頃は車で走り回ってやっと見つけたSWでした。
神奈川臨海国際埠頭報告
さすが国際埠頭らしく撮影は厳しい所で,
神奈川臨海国際埠頭報告
係員さんに伺うと「君が今立っている所も立ち入り禁止なんだよ」。なので画像はこれだけですが、もうなくなっちゃったので良いかな?

 ではでは、夜が明けるとお車のお掃除〜〜


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Posted by 奥野君 at 05:03│Comments(17)廃止関東
この記事へのコメント
奥野君さん、おつかれさまです。職場で隣席の人から風邪を移されまいと、気を抜けずにいる社長です。

これはまた貴重な写真ですね! 青い方、スイッチャー分類学的には、1960年前後に製作された日立35トン、元日本鋼管の機関車と見ますが、どうでしょう。
台枠端梁部が台形なのは規格型の古いヤツですね。ラジエーターがある筈の前面がゼブラの板で塞がれていますね。製鉄所の機関車特有の遮熱板だと思われます。同型車は、浜川崎第一セメントや芝浦、豊洲にもいた筈ですが、遮熱板付はないはず。
Posted by 社長 at 2010年02月23日 17:07
こんばんは~。
国際埠頭方面はまだ行ったことがないです。
今は踏切も遮断棒が取り外されていたりしますがレールは残ってますね。
復活させる気があるのか放ったらかしなだけなのか・・・。
青いSWは遮熱板を除くと形態、塗色共に本巣のSWを思い出します。
本巣を始め日立など水色の日立35t機というとセメント工場にいるイメージが強いですね。
Posted by 西宮後 at 2010年02月23日 21:28
 社長さん、おはようございます〜〜
 わお〜〜 これだけの写真から出所まで推測できるなんて、さすがスイッチャー分類学。製鉄所のSWかもしれないんですか。撮っていてよかった。さすがに立ち入り禁止区域で動くまで待つのは出来ないので、早々に立ち去りました。塩トキ君が繋がっていたので待っていれば動いたかもしれないですが。

 西宮後さん、おはようございます〜〜
 そうなんです。何年か前に廃線跡はたっぷり撮ってきましたが、何で残っているのかな? もしかして海コン計画があったりして。

 ではでは、明日から金沢〜〜 なぜか市役所や法務局巡りです。
Posted by 奥野君 at 2010年02月24日 07:12
わ~、すげ~古い日立35トンだ~。姿形からして社長さんのお話のとおり元日本鋼管の古典ロッド機関車でしょう。汽車会社25トンロッド機のあとガマだと思われます。隣の黄色い協三機は、この後どこかの代車に使われ、現在は坂城の予備機になっている車だと思われます。社長さん、こんな感じですかね~?いかがでしょ~??教えてくださ~い。ちなみにここは地元の知人から「一般人は黙認状態で散歩なんかしてるけど、オマエみたいな見るからにマニア(私は巨デブのメガネ)がカメラなんか向けたら、即刻拘置所行き」との警告を受けて行ったことありません。でも1度見たかったな~。
Posted by 古典機ワンマンカー at 2010年02月24日 12:43
奥野君さんこんにちは。
出所~~私はスイッチャーの動静情報には疎いんです。見たものを観察しながら推測していくタイプなもので(^^;

日本鋼管は、沖に移転した際に車両をほとんど入れ替えていますので(ゲージが違うので)、譲渡車が日本中あちこちに散らばりましたね。同型車は多気にもいました(写真を見たことがあります)が、先日訪問時に聞いたらもういないとのことでした。
ちなみにいま昭和にいる同型車は、お隣の第一セメントからきたもので、日本鋼管からの譲渡車ではありません(自分で撮影した製番写真で確認済)。元々はロッドでしたが、第一セメント時代に台車を鋳鋼製のものに振り替えています。この世代の日立の台車は、ロッド駆動か板台枠なので、鋳鋼製だと非常に違和感があります。
以前のタンク車さんのお話ですと、昭和に来てから、もう1両いた同型車(日本鋼管からの譲渡車)から部品取りをしたとのことですので、部品レベルではまだ生きているといえるのかも?? この辺はタンク車さんの方がお詳しいかと思いますが(苦笑)

●西宮後さん
そういえば本巣も水色でしたね。なぜかS財閥系の会社は、製鉄所もセメントも日立製を好んで使いますね。

●ワンマンカーさん
汽車会社、協三、、動静情報には疎いのでまったく分かりません(笑)
でもこれは規格型ですので、もっと古いの(前面が3枚窓でボンネット妻面に傾斜のついているタイプ)が古典ロッドになるのかな? 幣ブログのスイッチャー分類学では、規格型以前ということで解説を端折ってます(苦笑)

ではでは、長文失礼しました。
Posted by 社長 at 2010年02月26日 12:54
 古典機ワンマンカーさん、こんばんは。
 やはりすごい画像なのですね(笑)。気まぐれで行って気まぐれに撮れたのが悪いみたい。ここがかの有名な国際埠頭だと知ったのはごく最近のことです。

 社長さん、こんばんは。動静情報、私もよく分かりませんです。というか古典機ワンマンカーさんのように経験をつんだ方でないと。古典機ワンマンカーさん、年がばれそうなカキコでごめんなさいませ(笑)。

 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2010年02月26日 21:09
奥野君さん、お忙しい中コメント返信ありがとうございます。

せっかく推測したので、答えが知りたいと思い、先日購入した番外録を早速みてみました。すると、この青い車両は、やはり元日本鋼管の車両(水江のDL-10)で、1963年日立製とのことでした。1960年前後に製作というところまではあっていました(^_^;)が、自重は35トンではなく30トンとのことです。車体はどうみても35トン機のそれなのですけど。
Posted by 社長 at 2010年02月26日 23:57
古典機~。私と仲間内の場合は、社長さんが仰る「前面が3枚窓でボンネット妻面に傾斜のついているタイプ(最近まで荻野や扇町に居たあのタイプ)」は「超古典機」と呼んでます~(笑)。速星の現役円屋根を「古いの」、各地で見られる角屋根を「新しいの」、と呼びます。仲間内での話しなので、これで言いたいことは通じます(笑)。あと、日本鋼管の35トン(らしき)。確かに30トンと言われてますよね。規格型の上周りなので35トンに見えてしまいますが、オーダー機でしょうから30トンもアリなのかもしれませんね~。
Posted by 社長さんへワンマンカー at 2010年03月01日 12:58
 社長さん、おはようございます〜〜
 この項のレスが抜けていましたね。ごめんなさいませ。
 さすが社長さん、推測がばっちりってすごいですね。「そういえば番外録にそんなことが載っていたなぁ」と思い出している奥野君はそう思います(笑)。でも35トンを30トンにするって何でだろ。日本鋼管の線路が弱いとも思えないし。謎だ・・

 社長さんへワンマンカーさん、おはようございます〜〜
 「超古典機」「古いの」「新しいの」、いい名前ですね。私もそう呼ぼうかな(その前に区別をつけられるようにならなくちゃ(笑))。

 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2010年03月02日 06:28
奥野君さんこんにちは。コメントありがとうございます。高岡のO倉庫、昼過ぎにも動くとは知りませんでした。

スイッチャーは日立製が一番好きなので、つい熱くなってしまいました。失礼しました(^^; 35tが30t、謎ですねー。
20年くらい前のRMの製鉄所特集に、日本鋼管福山が出ていました。レールチキを引いてJR東福山に出るためのスイッチャーも、形は日立1エンジン45tタイプなのに40tとして紹介されていました。重くするなら分かるんですが軽くするのが謎です…。

●ワンマンカーさん
なるほどです。「古いの」「新しいの」で大概通じてしまいそうですね。


それにしましても、古いスイッチャーの写真はモノクロが多いので、正面顔だけでもカラーで見させていただけた意義は大きいと思います。ほんとうに、ありがとうございました。
Posted by 社長 at 2010年03月02日 12:55
超古典機の書き込みしたとき「萩野」と書こうとして、「荻野」と打ってしまいました~。字を間違ったようでハズイ話です~。謹んで訂正いたします~。
Posted by ありゃりゃワンマンカー at 2010年03月02日 14:03
 ありゃりゃワンマンカーさん、おはようございます〜〜
 「萩野」と「荻野」、よく見ないと分からないですね〜〜 というか漢字に弱い奥野君。二つあることすら知りませんでしたです(笑)。
 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2010年03月03日 06:41
 社長さん、おはようございます〜〜
 そうなんです。でも昼過ぎは時々振られますです。福山〜〜 中でゲット、外で動くのをゲットしましたがあれもそうなんだ。謎ですね。
 カラー〜〜 喜んでいただけて幸いです。写真派は解像度の関係からか白黒指向が強いですが、そこはあまのじゃくな奥野君。人と同じことをするのは性に合わないもので、ビデオオンリーなのが役に立ったかな?
 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2010年03月03日 06:46
奥野さんこんばんは

東福山ですが、奥野さんのブログにアップされているのは、新潟鉄工の40トンです~。日立40トンは、RMに掲載された1988年の段階で、既に予備車だったようです
説明不足ですみません…
Posted by 社長 at 2010年05月17日 20:44
 社長さん、おはようございます〜〜
 東福山は新潟鉄工だったのですね。新潟鉄工って古いイメージがありますがこんなのもあるんだ。
 広瀬川原は社長さんブログが効いたのかイベント終了後も人だらけでした〜〜 秩父鉄道もかなり増収になったんじゃないかな? しばらくお出かけは出来ませんがまた見てやってくださいませ。
 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2010年05月18日 09:27
奥野さん こんばんは~

また趣味的面接をしてしまいました。

今現在スイッチャーの姿はありませんでしたがレールはしっかり残っていました。
積み込み施設っぽいのはありましたが (未確認ですが)また是非とも復活してほしいものですね?

スイッチャーがいないからだめかな?

この倉庫・工場には下請け、協力会社が何社か入っていてその内の一社に内定を頂きました。

もしかすると貨車の取り扱いが出来るかもしれないという夢を見ながら仕事に励みたいと思います。
いろいろありがとうございます。

またこれからもブログ応援してます。
Posted by タンク車 at 2012年06月07日 21:54
 タンク車さん、非常に遅くなりまして〜〜
 おお〜〜 再就職、おめでとうございます〜〜 よかったですね〜〜
 で、まだ線路が残っているのですね。貨車の取り扱いが出来たら・・そのためにタンク車さんを雇用したと考えたい奥野君でした(笑)。
 ではでは。
Posted by 奥野君奥野君 at 2012年07月05日 08:49
 
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