2013年04月12日

お出かけ報告

お出かけ報告

 こんにちは、遊び倒してきた奥野君です。ショックなこともありましたが、お出かけはおおむね成功かな?

●岩手開発鉄道(4月9日)
 ショックなのはここ〜〜 またウヤでした。4月の平日は今週一杯だけウヤのよう。なんでこんな日に当たるのか・・ またリベンジですね。この後石巻に行きましたが、ここも強風でダイヤが乱れ13時の入れ換えが15時に。大船渡発のバスに間に合わないので泣く泣くお帰り〜〜 津波は車庫の手前まで来たそうですが、シャッターを閉めていたのでなんとかというお話でした。でも陸前高田付近はひどかった・・

●仙台臨海埠頭線(4月10日)
 前日夜にレンタカーを借りていたので、6時半出動。何度か振られているここですが、今回はゲット〜〜 まあ単機で来て入れ換えるとまた単機で帰るという運用でしたが、嬉しかった〜〜
 ちなみにこの辺はすべて津波に遭いましたが、感じとしてはバラストが新しくなっているくらいだったです。

●仙台臨海北港線(4月10日)
 ここも元気でした。震災の時は大変だったようですが、施設も復活。臨時便まで走りました。

●仙台臨海西港線(4月10日)
 震災後結構早くに走り始めたここですが、もちろんこの日も元気でした。まあ朝の便は帰りの荷がなかったので単機で早く出発しました。
 ちなみに仙台港本線出発側の弁当屋さんは一つ500円でボリュームもあっておいしかったです。

●石巻(4月10日)
 ここは配線が大幅に変わっていました。踏切を渡る専用線は無し。踏切手前に二本の線路があってSWが停まっていましたが、ここは受け渡し線のようですね。JRが13:06に到着して押し込んでくると13:20にSWがそれを工場内に押し出していきました。どこで荷役するのかな? 反対も覗きましたがSWは見えず。

●岩沼(4月10日)
 16時半にJRが出発するので間に合わないかと15時に着きましたが、工場内で入れ換えしているだけでした。やはり昼の便で終わりのようですね。ここもリベンジ対象になりました・・

●福島臨海鉄道(4月11日)
 毎夜ホテルに23時着ではさすがに朝は起きられず。鉱石専用線発には間に合いませんでした。9時半には着いたのですが。本線発はゲット〜〜 でもトキ君だけでタキ君は無し。珍しい編成でしたです。返しは単機。昼のコンテナもゲット〜〜 往復結構載っていました。ちなみにうどん屋さんのお母さんの話では津波は2mくらい来たそう。

●廃線跡巡り(4月11日)
 14時着ですぐ入庫してしまったので、廃線跡巡り。使われていないのに新しい踏切があった線はさすがに復活しませんね。踏切以外はもう線路が外されていましたです。
 埠頭線の端は工事でいけませんでしたが、懐かしのカマボコ倉庫を遠望。
 小名浜精錬専用線後も枕木がところどころ残っていました。
 前日はホテルでゆっくり出来たのでまだ元気な奥野君は小雨が降り出す中勿来に出動〜〜 昔にSWをゲットした工場手前の鉄橋も激写してきましたです。さすがに高萩までは行けませんでした。
 いわきはネカフェがないので焼き肉をたっぷり食べて(弁当以外はうどんとラーメンしか食べてない・・復興支援になりませんね)本屋さんで本を買っていわき発の夜行バスでお帰りとなりました。

 ではでは、今日はさすがに眠いので(歳ですね)、明日から報告しますです。



Posted by 奥野君 at 17:01│Comments(13)
この記事へのコメント
奥野さんおつかれさまです
陸羽東線関連の記事を見つけることが出来なかったため、こちらにコメントさせていただきます。

今朝、くりでん乗車会訪問のついでに岩出山駅前に静態保存されているスイッチャーを見に行きましたら、まだ置いてありました。白い半キャブです。中には入れませんが窓ガラスがないので、銘板を記録できました。
岩出山には、川に向かって分岐する砂利取り線の廃線跡や、その途中にコンクリート工場もあるのですが、保存半キャブとの関係は調べていないので分かりません。

なおくりでんの方は、予定通り半キャブロッド駆動のDB101が、大正時代製のワフと、明治時代製のトム2両を牽き、午前・午後の各一回走行しました。最後尾に保線用モーターカーのTMCが付いているのが余計でしたが(^^;;
お土産に、イベント向けの行程表(現役時代の運行図表風)と、今後のイベント計画が掲載されたパンフレットをもらいました。それによると、DB101が次に動くのは来年みたいです。
Posted by 社長 at 2014年09月14日 15:37
 社長さん、おはようございます~~
 あらら、くりでんイベントでしたか。まあ奥野君が東北に行くのは大変ですが。くりでんも楽しそうですが、岩出山の廃線跡が気になるなぁ(笑)。東北に本格的に行くのはまだ先ですが。もうおでかけ連続三日以内という決め事を守る気はないので、長期お出かけはする予定です~~
 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2014年09月15日 07:45
くりでんと岩出山・・・。私の庭先みたいな場所です。くりでんのDB101は現役時代から廃線後の除草剤散布作業まで、ずっと追い回して撮影し続けた思い出の多い機関車です。今でもその姿が見られるのは嬉しいですね。岩出山の10トン機。昔は正面に「エ○ソ石油」のマークが付いた薄いグレーの動車でした。塩釜から保存のために運ばれてきたものだったと記憶して居ります。以降詳しくは社長さんお願いいたします(笑)。
Posted by 庭先ワンマンカー at 2014年09月16日 08:12
庭先ワンマンカーさんこんばんは
半キャブ2両についての情報ありがとうございます
岩出山のは、ボンネット前後に楕円形のプレートが付いていて、いかにも使用者の社紋と思しき風情でしたが、さてどこの会社だろうか…と(´・Д・)」
くりでんは、私は非電化の時代しか知らないので、半キャブが石越や細倉で入れ換えをやっていた頃がどんな様子だったのか興味深いです。
貨物廃止後は、若柳で車両入れ換えにも使われていたと思いますが、私が訪問した際は、TMCもKD95に連結された状態で留置されていたのが気になります。
ただ単に、使用しない車両をまとめて連結・留置していたのか、それとも…入れ換え? 謎は尽きません。。
Posted by 社長 at 2014年09月16日 22:09
「私が訪問した際は」

「私がくりでん廃止前の現役時代に訪問した際は」

と訂正させていただきます
Posted by 社長 at 2014年09月16日 22:13
岩出山の10トン機、正面の楕円マークが残ってたんですね~!まさにそれが「エ○ソ」マークです。この10トン機、私が昔(中ボーのガキでした)に見た時はまだ現役当時のまま置かれており「なんでエ○ソがこんな所に」って感じでした。その後、傷んだ塗装を塗りなおす際、東北本線の電車に合わせて白と緑帯になったそうです。ハッキリ言ってトホホですね(笑)。ちなみに塩釜から来たという話は中ボー当時に聞いたもので、ホントかどうかは不明です。やはり社長さんの出番ですね~(笑)。
もう一つ、くりでんのお話し。さすがに細倉鉱山駅でDBがバリバリ動いている当時の事は私も知りません。東北本線の客車から石越の構内で動いている姿は辛うじて記憶にありますが・・・。貨物廃止後は若柳でC15形などの移動に使われていましたが、内燃化後は年数回の試運転で動く位でしたね。しかし、くりでん廃線後に線路用地保全のために除草剤散布列車が走った際、このDBがワフを連れて日中に細倉まで走った事がありました。大きな踏切ごとの停止確認、途中数か所の除草剤用の給水、薬剤散布の為の低速走行。朝に若柳を出て細倉到着は夕方でした。1日中の撮影でかなりの疲労感だった思い出があります。TMCの方は内燃化の際、KD95型を発注した富〇重工に、老朽化したDBの代替に小型機を打診したところ、手持ちの中古として提供されたとのことです。空転が激しくて入換には使用できず、結局DBが残ったそうです。ただしこのTMC、夜間に行なう除草剤散布には大活躍し、春の満天の星空の下、光々と作業灯を輝かせて暗闇の田園地帯を黙々と走っておりました。すべて遠い記憶の彼方ですね~。社長さんの疑問に多少参考になりましたでしょうか?長文失礼いたしました。
Posted by それです社長さん!ワンマンカー at 2014年09月16日 23:31
 庭先ワンマンカー&それです社長さん!ワンマンカーさん、おはようございます~~
 くりでんが庭先とは羨ましいですね。奥野君は多分くりでんには乗ったこともなかった?? まあ半キャブ君だったので食指が湧かなかったというのが本当のところですが。でも除草散布車の追い回しは楽しそうですね。保線車の夜の追い回しは何度かしたことがありますが。

 社長さん、おはようございます~~
 そうなんだ。「エ○ソ」マーク~~ それは見たいですが、それだけに行くのは遠いなぁ・・

 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2014年09月17日 07:31
それです社長さん!ワンマンカーさんこんにちは
また情報ありがとうございます。
TMC空転、たしかに今回のデモ走行でも、DB101が先頭の時は軽々牽引しているのに、TMCが先頭で折り返して来る時には、起動時にかなり空転していました。結局、後ろのDB101も一緒に力行し始めてからようやくまともな速度になりました。

http://rail.hobidas.com/rmn/archives/2014/09/post_1236.html

なお岩出山の話に戻って恐縮ですが、旧駅舎を活用して造られた鉄道資料館に、白に赤帯の半キャブに子供達が乗ってる写真がありました。エッソ塗装とはこれのことでしょうか?
Posted by 社長 at 2014年09月21日 15:39
岩出山のエ〇ソ機の塗装ですね・・・?。さすがに中年になった現在、中ボー当時の記憶は消えつつありまして・・・(汗)。全体的に白と言うより薄いグレーの思い出だけがあります。エンジンルームサイドからキャブを通ってぐるり1周のラインはあったような・・・。これが赤帯だったかどうかは・・・???。何より「エ〇ソ」マークの印象が強すぎて、既に他の部分がうろ覚えになっています。こちらも自信有りませんが、キャブサイドにも「エ〇ソ」マークがあったような気がします。社長さんが見たという写真にはマーク類は写っていましたか?もし塗りつぶされていない写真だったとすれば、私の記憶が風化し過ぎで、白と赤帯の塗装が正解なのかもしれません(無責任)。更にこの動車はギア動車ではなかったかと思います。当時ロッド動車が数多く存在していた時代でもあり、尚且つ幾何学数的に存在した10㌧半キャブのギア機とあってあまり興味がなかったのは事実です。何か投げやりコメントですみません。
Posted by はてはてワンマンカー at 2014年09月21日 19:48
 社長さん、おはようございます~~
 なかなか楽しそうなデモ走行ですね。TMCは軽いのかな? 稲沢で動いていた保線車使用専用線ではそんな感じはありませんでしたが。南松本も軽々引いてましたが、まあこちらはホキ二両だからですね。

  はてはてワンマンカーさん、おはようございます~~
 さすがですね。中ボーの記憶がそこまであるとは。奥野君もSL時代SWはいっぱい見ているはずなのですが、さっぱり記憶が(笑)。何台か撮ってますが、ネガもどこかに行っちゃったし(殴)。
 ギア駆動の半キャブ~~ 奥野君も90年代はそれだとがっかりしたものです。今専用線で使ってるのはあるのかな? 二塚も最近出てこなくなっちゃったし。

 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2014年09月22日 07:02
奥野さんが仰る稲沢石油の16㌧や南松本小麦の20㌧は、れっきとした動車として作られ、ボディーデザインの省力化としてTMCの車体を載せたそうです。下回りは動車、上周りは保線車・・・正に「羊の皮を被った狼」ですね(笑)。25㌧サイズになると小山石油と宇都宮タバコとなるようです。詳しくは社長さんまでお問い合わせください(爆)
Posted by 羊の皮ワンマンカー at 2014年09月22日 13:07
奥野さんはてさてワンマンカーさんこんばんは

⚫︎はてさてワンマンカーさん
岩出山の半キャブの写真は、前記の通り子供達が乗っているのでロゴは分かりません。
赤帯は側面とボンネット正面まで見えますが、はてさてワンマンカーさんの仰る緑帯の写真も、ネットを検索すると出てくるので、塗り替えられたのは間違いないと思います。
「庭先」とのことですので、資料館の写真を実見なさってください〜(^^)
Posted by 社長 at 2014年09月22日 19:46
 羊の皮ワンマンカーさん、おはようございます~~
 そうなんだ。れっきとした動車だったのですね。初めて知りました~~ 今残っている可能性があるのは宇都宮タバコくらいですか。早めに行きたいですが、廃止されていないだろうな・・

 社長さん、おはようございます~~
 半キャブ写真。数が多かったせいか、結構保存されていますね。仲間も某所で発見しました~~(謎)。

 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2014年09月23日 08:23
 
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