2009年03月16日

石山繊維報告

 おはようございます、昨日も9時間しか模型が出来なかった奥野君です。最近根性が続きませんね。何とか平日メイン制作にしないと鬱りそう・・ まあアップできそうなのはありますがまだ写真を撮っていませんです。

 ということで過去情報、石山繊維報告。

●最終撮影日 2002年12月11日

 同じく滋賀県の石山。ここは南側にスイッチバックした線路が国道1号線を渡って行くという魅力的な路線でした。

 廃止の情報が入って、
石山繊維報告
歩道橋から収めたいと行った所です。
石山繊維報告
石山駅南側の貨物側線に入った貨車を引き上げる所もかなりの急勾配で、
石山繊維報告
黒煙を噴き上げてSWが上ってきます、そして引上げ線の入ると今度は押し込み
石山繊維報告
踏切を渡りますが、ここは国道1号線。2車線ですが、いつも渋滞するので、これも廃止の理由になったそうですね。

 この頃はまだこの辺りは専用線の宝庫で、向日町、膳所、石山2カ所に次に紹介する守山、そして北陸線に入って高月ととても1日では回りきれない数の専用線が活躍していましたが、今は1カ所もありません。

 ではでは。


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Posted by 奥野君 at 06:50│Comments(6)廃止近畿三重
この記事へのコメント
奥野さんこんにちは。

廃線になってから、この界隈のガラス、セメント、繊維と回りましたが
こんなに素敵な場所だったのですね。ガラスは車庫が残ってますが
中身は空っぽなのでしょうか?気になる所です・・・
もう少しこのサイトが早く始まっていたら・・・僕の人生もっと変わっていた
にちがいないです(^^;
Posted by ヘッポコ出戻りモデラー at 2009年03月16日 11:00
 ヘッポコ出戻りモデラーさん、こんばんは〜〜
 やはり来ましたね。こういうコメント・・ 悩ましいコメントですが、奥野君は割り切っています。だって、私が始めたのは1987年〜〜 つまりはその時から始めていないとこうなるのですから。まあまだ専用線が残っている時代に始めたということでお許しを〜〜 で現在廃止専用線アップは31カ所なので、あと最低74カ所ありますです・・
 ちなみに車庫の中にはまだSWはいるような感じですね。
 ではでは
Posted by 奥野君 at 2009年03月16日 19:55
前略
認識不足でした。
片側二車線の「国道1号線」・・・・
こんなことが、行われていていいものなのか?です。
廃線には、なったそうですが、つい最近ではありませんか・・・
昨日も、お客様と余談をしていましたが「「JR冨田」から「北ジャス」へ行くには、国道1号線を必ず渡らないと、行けないでしょう?」「そうです、必ず渡る必要があります。」でした。
調査、開始です。
南四日市東の3kmの「東洋紡績」・・・南四日市から東へ3kmも行くと、コンビナートに突き当たってしまい「三菱化学四日市事業所」あたりの位置になってしまいます。
これも、「開始」かな?
私の職場にしても、「東洋紡績跡地」にしても、ポイントや少しの線路も残っていません。
南四日市では、「三菱ガス化学¥や「味の素」「三菱化学・川尻工場」は今でも、線路は「残って」いますが・・・
草々
Posted by AKILIN at 2011年05月03日 08:32
 AKILINさん、おそようございます〜〜
 四日市情報ではお騒がせしました〜〜 3kmはどこでどう読み違えたのか・・ 富田は三岐本社の東側にちょろっと線路が「北ジャス」に向いて残ってます〜〜 ちなみにその手前には太平洋セメントの現役サイロが。昔のものではありませんが、小野田セメント0.1kmはたぶんこれかな? ほんと四日市専用線は奥が深いです〜〜 四日市港なんてもうウジャウジャ・・
 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2011年05月04日 09:48
前略
「四日市港」は入リだしたら、何処へでるか判りません。
現に、私の旧お客さんであった、「四日市市末広町八番八号」という、メチャクチャHAPPYな住所を持つ、その名も「末広運輸」という会社の社長室に、よく招かれましたが、四日市・末広可動橋のすぐ手前で、社長が言うには「長年、ここで過ごして参りましたが、(私に)言われて、初めて、認識するようになりました。」だそうです。(Tセメント列車について)
社長の長男は、私の苦労のあげく、大阪の大学へ。
今は、社長業務の見習いです。勿論、将来は、「社長」です。
「末広可動橋」のすぐ近くの「本屋北RC」の南西です。
「四日市港(みなと)駅」は、調査を始めたら、きりがないです。
あの辺りは、今でも使われていますが、昭和初期と思われる倉庫街があり、夕刻に行くと、情緒満タンです。
四日市港は、今は無き線路跡が、無数に見かけられます。
「時の鉄路」では、追えないほどのレール跡が残ってます。
かつて、私は四日市港で「海水」をくみ取り、pHが、幾らか調べ、船の模型にソーラー・パネルを設置し、「フレミングの右手則」を使い、「無公害、無騒音」の船を造ったことを思い出しました。
(私は、「未来指向型研究者?」です。)
あかん、奥野さんのペースに完全にハマっている気がします。
「鵜殿」は、今「ウヤ」ですよね。
草々
しかし、四日市の鉄道の過去にはこだわります。
Posted by AKILIN at 2011年05月04日 11:03
 AKILINさん、おはようございます〜〜
 なんと四日市港の方までお客さんがおられるとは・・ 「初めて、認識するようになりました。」ってまあ普通の人はそうですよね。ましてや廃線跡なんて。「奥野さんのペース」に嵌っちゃいけませんよ〜〜 仲間は完全に嵌っておりました(笑)。昭和50年代の大阪市の地図を持たせたもので。
 でも怪しげ資料、明日送る予定です。この誘惑に耐えられるか(笑)。
 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2011年05月05日 06:26
 
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