2012年09月29日

舞鶴線東舞鶴駅

 こんにちは、野暮用でおとなしくしている奥野君です。一つは片付きましたが、あと二つ・・

 ということで、舞鶴線東舞鶴駅 Oセメント0.2km K倉庫0.9km M倉庫2.2km

●撮影日 2012年4月10日

 ここも
舞鶴線東舞鶴駅
「懐かしい駅の風景〜線路配線図とともに〜」様のブログに線路図が(http://senrohaisenzu.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/1979826_3e8c.html)。
舞鶴線東舞鶴駅
でも高架駅になっていて、
舞鶴線東舞鶴駅
どこがどこだか。
舞鶴線東舞鶴駅
探索はあっさりあきらめて中舞鶴線に行っちゃいました。東舞鶴にはレンタサイクルがあるもので。
舞鶴線東舞鶴駅
こちらは遊歩道になっていてトンネルも現役。
舞鶴線東舞鶴駅
まあ海側に出るまででしたが。
舞鶴線東舞鶴駅
で、この地下道にも
舞鶴線東舞鶴駅
こんな写真が。前にアップの「倉谷」の写真もここにありましたです。

 ではでは。


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この記事へのコメント
こんばんは~。
東舞鶴駅は地上時代もよく覚えています。
長いホームに合わせて木製上屋が設置され大きな駅という印象でしたね。
高架化まで貨物ホームも残りアヤシゲムード満点でした。
中舞鶴線や東舞鶴港線のレールは東舞鶴駅付近だけ草生しながらも引上げ線として残っていましたね。
高架化後は島式ホームに線路2本だけと何とも素っ気ない配線に・・・。
そしてこの地下道・・・僕も土砂降りの中逃げ込んだことがあるのですが、何という棚ボタ(^ ^;)
Posted by 西宮後 at 2012年09月29日 22:59
 西宮後さん、こんにちは〜〜
 東舞鶴駅〜〜 怪しげ方向に趣味がなってからは、松尾寺を覗きに行った時かな? 90年代なので高架にはなっていませんでしたが、西舞鶴のヤードが丸坊主で、東舞鶴もちっちゃくなったのに驚いた覚えがありますです。
 地下道〜〜 確かに入ったら出て来れない沼のような地下道だったですね。
 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2012年09月30日 15:48
惜しい・・。
正面に写ってる赤レンガの建物の中に中舞鶴線の配線やら軍港引き込み線の
資料展示してりまして・・。
Posted by 山鯨 at 2012年10月03日 20:39
 山鯨さん、こんにちは〜〜
 あらら、そんなものがあったのですね。見たかな?(笑)。こんな奴ですが、よろしくお願いいたしますです。
 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2012年10月04日 15:28
奥野君さん、こんばんは。
東舞鶴駅は高架化されて昔の面影ほとんどなしですね。
Posted by f54560zg at 2012年10月06日 22:16
 f54560zgさん、こんばんは〜〜
 またまたコメントありがとうございますです。f54560zgさんは、「懐かしい駅の風景〜線路配線図とともに〜」様のブログの管理者様です〜〜
 そうなんです、東舞鶴はあれだけの駅が2線島式ホーム一本の高架駅になるとは思いませんでした。なんかなぁ・・
 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2012年10月07日 17:37
奥野さんこんばんは
私もこちらの場所を往訪しました。加悦イベントの前日に東舞鶴に寄り、西舞鶴に泊まりました。

東舞鶴にはレンタサイクルがあったのですね。私は、智恵蔵の閉館まで一時間しかなかったので行きはタクシー、帰りは廃線跡を歩いて戻りました。

智恵蔵の展示に現役時代の港湾部の線路配線図もありましたが、煉瓦倉庫から港へ出ていた線路の曲線半径が短すぎるのが、考証的にでしたが。あれだと全長10M級の二軸貨車も曲がれそうにありませんが。
Posted by 社長 at 2013年05月12日 20:13
奥野さん、社長さん、こんばんは~。

社長さんの仰るうじゃうじゃとあった線路配線図の件ですが多くは手押しトロ用だったようです。
レールが国鉄線につながっていたのでサブロクだとは思いますが、全てが同じゲージとも言い切れません。
デュアルゲージでナローも混じっていたかも・・・。
Posted by 西宮後 at 2013年05月12日 21:50
 社長さん、またまたまた(笑)こんばんは〜〜
 なんとなかなか精力的に回られてますね。東舞鶴のレンタサイクルは少し分かりにくい場所にあるので、調べていかないと分かんないです。
 で、またややこしい疑問をもたれましたね。

 西宮後さん、こんばんは〜〜
 さすが西宮後さん、素早くフォローくださってありがとうございます〜〜 で、また怪しげな推測を(爆)。たしかに自動車の発達していない時代、それも戦争中に木炭自動車で運んでいるとも思えず、『デュアルゲージ』かどうか分かりませんが、ナローがあったのは充分考えられますね。そういえば前に『戦艦大和』のドック模型がありましたが、ナローがにょろにょろ〜〜 思わず買いそうになりましたです。

 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2013年05月13日 22:18
奥野さん西宮後産
こんばんは
サブロクのトロッコの可能性もあるのですね。
私は、地図の書かれた時代の海岸線が今と同じ位置だったのかどうかが気にになりました。
後年になって掘り込んでいれば、以前は煉瓦倉庫から海までの間の用地に今より余裕があったはずで、曲線半径ももっと大きく取れたはずですので。
Posted by 社長 at 2013年05月14日 18:45
 社長さん、こんばんは〜〜
 あらら、海岸線の位置まで考察されますか。奥野君的には知恵蔵でも感じたことですが、倉庫の中に線路を引き込むとほんと倉庫が狭くなりそう。まあ軍事機密のものを隠すということは考えられますが、あえて大きな貨車を倉庫に入れる意味はなさそうな・・トロッコ説を支持するのはそんな意味もありますです。
 ではでは。
Posted by 奥野君 at 2013年05月14日 20:53
 
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